■『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離(ディスタンス)』(1995)
脚本・監督リチャード・リンクレーター
恋愛映画は好物だけど走って逃げたいほど苦手なものがある。
「愛について小難しい問答を繰り広げる」映画と「男女が延々と言い争い続ける」映画だ。
別名ディスカッション映画。
そんなのあるの?と思われるかもしれないけど、あるんです。これが。
若い時にたまたまその二つの条件を満たしている映画を続けてみちゃって、どれもフランス映画だったからそれ以来フランス映画がこわい(涙)
ヒロインがフランス人女優なのと恋愛ものなんで見るまでちょっと怖かったけどこの映画は大丈夫でした。
イーサン・ホークを見直した。
このひと本当に恋に落ちてるように見える。
狭いブースの中にふたりで入って音楽を聞いてる時に顔がさーっと赤くなるんだ。
二人とも演技はとても自然なんだけど顔が紅潮したりするのも演技なわけ?(まさか)
会話が途切れたときの間やぎこちない感じとかドキュメンタリーを見てるようだ。
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■『 ビフォア・サンセット』(2004)
続編の『ビフォア・サンセット』は9年後の物語。
「日没まで」の1時間20分の物語。
進行時間と物語のすすむ時間が同じ映画。
今回はイーサン・ホークとジュリー・デルピーと監督リチャード・リンクレーターの共同脚本。
ジュリー・デルピーは前作に比べて痩せて少女の面影がなくなり、イーサン・ホークは年は若いのに「老いてしまった」感じがある。
「愛してたわけじゃないけど、こどもができたから結婚した」と言うイーサン・ホークは役柄ではなく、まるで彼自身の話をしているようにすら見えてしまう。
昔の恋愛をもとに小説を書くところもイーサン・ホーク本人みたいだし、この映画は脚本も書いてるのでよけいにそう見える。
イーサン・ホークは『ビフォア・サンセット』に出演したころはユマ・サーマン(できちゃった婚)とうまくいってない時期で映画公開後に離婚している。
まあそれはおいといて、イーサン・ホークの目の演技は素晴らしいし「え?ここで?」というところで終わるのは意表をつかれた。
まるで短編小説のよう。
上映時間も1時間20分というのがいい。短い!
「○○ちゃんブッキーのこれ、見た?」
と聞かれ
「見てないですー」と答えた後、反射的に警戒音が鳴った。
案の定、即座に「はいこれー」と言ってDVDを貸してくれた。
やばいよ。やばいよ。やばいよ!
これ確か「HIHOはくさい映画賞作品賞」じゃん!
んで見ました。ええ。さすが「HIHOはくさい映画賞作品賞」。
大ヒットしたって嘘でしょ?
家でみたから合間にPC立ち上げてネットサーフィンしたり、まだ開けてない箱を開けたり、雑誌みたりできたけど、映画館で見てたらマンガ読むわけにもいかないし寝るしかない。
もしくはいさぎよく敗北を認めて席を立つか。
アクションシーンで流れるジプシーキングスみたいな音楽はぜんぜん画面とあってない。
こんなにずれてるのは久しぶりに見た。
ニュージーランドの景色はよかったですよ。
ラストの海岸はピアノ・レッスンを思い出した。
妻夫木聡がかわいいだけじゃダメだった。
続編は作らないほうがいいね。
2007年日本映画
「これ見てごらん。気持ち悪いから」
と貸してもらった映画。
「気持ち悪い」ってどういうことやねんと思いながら見る。
出だしからして腐臭の漂う映画でした。
ちょっと疑問なのは死んじゃうと香りがなくなっちゃうんですよね?
なのにその後殺してから香りを採集してるし。
あんなカマみたいな道具で裸の体をそろりそろりやられるのは嫌だよう。
撮影とわかってても怖いしムダ毛いっぱいとれちゃうじゃん(そこかよ)
被害者にひとり娼婦がいるんだけど処女じゃなくてもよかったわけ?
途中で「被害者は全員処女」とか言われると混乱してしまうわ。
性的な暴行はされてないといいたかったんだろうけど、ローラの父親が娘を急いで結婚させようとした意味がないよ。
これって行動分析的にいうとどういうタイプにあてはまるのかなーと『クリミナル・マインド』のリード君を思い浮かべながら見てました。
最後の750人のあれは「ラブシーン」と書かれてたけど「ラブシーン」じゃないでしょう。
裸の人をあんなにいっぱい見たのは『王妃マルゴ』の死体以来だ。
眉間にしわが寄ったままになる。
「んなアホな!」的な結末へと続く、この映画自体は退屈しないし悪い出来だとも思わないけどなんとなくひっかかる映画。
あ、そうか。
だから「気持ち悪い」んだ。
◆追記:
赤毛の美少女ローラちゃんを演じたレイチェル・ハード=ウッドはヒュー・ローリーの姪っ子だそうです。
(エヴァン・レイチェル・ウッドとごっちゃになりそうな名前だ)
タランティーノ監督の映画『デス・プルーフ』
監督の尻フェチ、脚フェチ、カーアクションのマニアっぽさだけが痛いほど伝わる映画。
粗い画質とリールが消失したみたいにぶちっと切れるところは昔の名画座の再現。
お金かけてわざわざ安っぽく作るという変な意味で贅沢なことをしている。
なんていうか男の世界。悪い意味で。
売り物はカーアクションなんだけど、ヴァネッサ・フェルリトのラップダンスがやっぱり見ものかな。
タランティーノの映画のガールズトークってちっともリアリティがない感じがするのは私だけかな?
キャメロン・ディアス&ジュード・ロウのところは正直イマイチでケイト・ウィンスレット&ジャック・ブラックのほうが好きだった。
ジャック・ブラックのほうがつきあってて楽しそう。
ラストにかかるアレサ・フランクリンの曲は良かった。
結合双生児が主人公。日本ではたぶん作れない。
双子なのに片方だけ老けているのは片方にしかない臓器があるから。
(萩尾望都の『半身』と同じ理由ね)
マット・デイモンはいつも天才の役ばかりやってるけど、こういう役をもっとやってほしいな。
だって顔はジミー大西そっくりなんだからとぼけてても似合うもの。
兄のウォルトが演技をしてる横で黒子さながらに「いないふり」をしてるボンクラ風味はとてもおかしい。
シモネタとかもあるんだけど、心やさしい美人とのまっすぐな恋愛はやっぱりファレリー兄弟の映画らしい。
本人の役でメリル・ストリープとシェールが出てくるけど、本人の役なのに嫌な女の役をやってるシェールはえらいなあ。
「若い俳優と何年もつきあってるのにぜんぜんばれなかった」という相手の俳優の顔みて心ならずも爆笑。
だって・・・。
ラストのミュージカル部分の振り付けはアダム・シャンクマン(『ヘアスプレー』の監督)だそうです。
訂正:「半身」ではなく、「半神」に訂正させていただきます。
「ダロウェイ夫人」を読む二人の女、そして「ダロウェイ夫人」を書く作者。
違う時代を生きる三人の、それぞれの人生が交錯していく。
「ダロウェイ夫人」を読んでないので「よくわからないのが当たり前」だと思ってみてました。
音楽でそれぞれのシーンをつないでいくのがうまいと思った。
かわいいこども、すてきな家に車、それに自分を愛してくれる優しい夫。
幸せなはずなのに涙が止まらない。こんな気持ちをいったい誰がわかってくれるだろう。
平凡な主婦の抱える壮絶な孤独というジュリアン・ムーアのパートが一番良かった。
母親の後を追うこどもの演技は胸をしめつけられる。
スティーブン・ダルドリー監督は少年(こども)を演出すると特に素晴らしい。
ジュリアン・ムーアとメリル・ストリープの対比はセクシュアリティを受け入れるかどうかの違いなのか、時代のせいなのか。
いいところはいっぱいあるけどヴァージニア・ウルフがどんな作家か、「ダロウェイ夫人」がどんな作品か基礎知識がないとちょっとつらい。
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めぐりあう時間たち – goo 映画
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追記:個人的には「よくできてるけどつまんない」に属する映画でした。
「つまんない」というのは個人の趣味なので、ごめんね。
ヒュー・ダンシー目当てで見たんだけど、10代から40代までのいい男が出てきます。
ああ、ジミー・スミッツさんこんなところに!(50代だっけ?)
かたくななエミリー・ブラント扮する高校教師とケヴィン・ゼガーズ(生徒)のパートが一番どきどきした。
この子、かわいい。
待ち合わせの場面でエイミー・マンの「セイブ・ミー」が流れるのが憎い。
ジェイン・オースティンの6冊の小説をそれぞれの家でワイン片手に話しあう、こういう読書会なら私も参加したい。
「高慢と偏見」しか読んでないけどいい?
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公式サイト
ジェイン・オースティンの読書会 – goo 映画
WOWOWで見た。
第1作のヒロインを27年ぶりにつれてくるのがちょっと感動。
インディはがんばってたけど、アクションのおもしろいところはシャイア・ラブーフとケイト・ブランシェットのところだった。
ケイトの声にうっとり。
名優は例外なく声がいい。
最後のほうはあんまり集中して見てなかったけど、未知との遭遇テイストがやっぱりスピルバーグだった。
同年(2005年)にとった『ブロークバック・マウンテン』との違いを見てみればヒース・レジャーがいかに才能があったかわかる。
ただこの映画じゃゲスト扱いなので、この映画は若い俳優たちの「先物買い」映画。
この中で一番先に主演格に一抜けしたエミール・ハーシュがやっぱり目立ってる。
昔のリヴァー・フェニックスにちょっと似てるんだ。
ニッキー・リード(実生活で監督のキャサリン・ハードウィックの身内同然)は兄と同じ部屋でそれぞれの相手といちゃついてるというのは理解しがたいけど、モデル本人が脚本だったり監修してるのでこのあたりは本当なんだろう。
70年代って乱れてる。
みんなからいじられるへたれっこがマイケル・アンガラノ。
監督をはじめとしてキャストの何人かが3年後の『トワイライト』の関係者になってくるのが運命の不思議さ。(『トワイライト』のヒロインはエミール・ハーシュの推薦できまったマイケル・アンガラノのガールフレンド。エミールもマイケルも本人は出演してない)
お話自体はそんなにおもしろいとは思えなかったけど、みんなちゃんとスケボーをすべってて感心した。
低予算映画だけど、役者に課せられた負荷が高い。
そういえばマイケル・アンガラノの初体験の相手でアメリカ・フェレーラちゃんが出てた。
あの『アグリー・ベティ』のベティちゃん!
メロンのような爆乳は相変わらず健在でした。もまれてたし。
やっぱり俳優の先物買いだなあ。
キャスティング担当者は自慢していい。
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ロード・オブ・ドッグタウン – goo 映画