以前「野麦峠で働くのと吉原で働くのとどっちを選ぶ?」と究極の選択をつきつけてきたA木さんとごいっしょできたので
「A木さんは王監督の後妻になりたいって言ってませんでした?」と聞くと
「嫁にいってない娘がいるところはねえー」と渋っている。
渋好みも小姑がいるところは嫌らしい。
すると
「やっぱりねー。私ジョージ・クルーニーがいい」
王監督からそっちかΣ( ̄□ ̄;)
「わたしもー」私だってジョージが好きよ。声は小山力也でよろしく。
「ジョージ・クルーニーならちゅーしたいわあ」朝からぶっとばすA木さん。
「わたしもお」私もー私もー。飛ぶふたり。
お料理上手だがとてもシビアな性格で知られるK原さん(推定59歳)に
「あんたたちっ 何色っぽい話してるのっ」
と突っ込まれるまで脳に虫がわいてるわたしらの会話をとめるものは誰もいませんでした。
他の人、ひいてたし。ほほほ。
夜中目がさめてニコラス・スパークスの「A Walk to Remember 」の翻訳が超訳で知られる出版者から出てると知る。
タイトルは「奇跡を信じて」。
むむ。読む気がしない。
「The Notebook 」は講談社でよかったね。超訳の出版社から出てたらタイトルは「君に読む物語」じゃなくて「ノート」になってたよ。きっと。
超訳出版社から出てる本のタイトルは常々アレだと思ってたので調べてみると本当にセンスなかった。
例:
■Rage of Angels (1980)
ハヤカワ「天使の怒り」
超訳「天使の自立」
■A Stranger in the Mirror (1976)
ハヤカワ「鏡の中の他人」
超訳「私は別人」
■The Naked Face (1970)
ハヤカワ「裸の顔」
超訳「顔」
そのままでよかったのに超訳はいじってしまいましたね。
■Windmills of the Gods (1987)
超訳「神の吹かす風」
・・・「神々の風車」じゃいかんのか?
■Nothing Lasts Forever
超訳「女医」
テレビで見た覚えがあるな。これ。「永遠に続くものなど何もない」という意味でいいタイトルはできなかったのかな。私も思いつかないけど。
「女医」はないでしょう。ヒロインの職業そのままタイトルってどうするの。
超訳は「一度翻訳した文章に手を加えてさらに簡単な文章になおす」ものだと思ってたら検索で章の順番を変えたりしてるせいで視点がばらばらになったりしてるという記事も見つけてしまいました。
シドニイ・シェルダンは売れれば自分の作品をいじられても気にしなかったみたいね。
私はこんな変なタイトルつけるのと同じ人が訳した文章なんか読んだら感覚がおかしくなって文章がよけい下手になりそうでいやだなあ。