「人間を完全にするもの。それこそが愛だと」 フリードリヒ・フォン・シラー
15歳の夏、マイケルはハンナのために本を朗読した。
それは愛し合う前に行う儀式のひとつ。
他人がみたら親子にしか見えなくてもマイケルには関係ない。
教会の讃美歌を聞いて涙を流すハンナはマイケルにとって「世界でいちばん美しいひと」だから。
そしてある日突然、ハンナは消えた。何も言わずに。
8年後。法科の学生になったマイケルは裁判の傍聴に行き、被告席に座るハンナを見つける。
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前半、主演のケイト・ウィンスレットとデヴィッド・クロスはほとんど裸です。
こんな状態で恋の痛みが伝わるような演技ができるなんてすごい。
特にデヴィッド・クロスは17-18歳で15歳と23歳を演じ分けていてすごい。
愛した人の証言を聞くときの吐きそうな顔が切ないです。
前半の恋愛ものから一転してハンナの罪を問いかける後半は
「あの状況で、そんなことになったら自分ならどうする?」と問いかけます。
映画の中で、表情を見てればすぐわかることですがハンナには
「それを知られるくらいなら死んだほうがマシ」だという秘密があります。
日本ではあまり聞きませんが、以前親しくしてた隣家のおばあさんがハンナと同じ事情でした。
おばあさんは秘密にはしてませんでしたが、世代的なものだとかたづけるにしても、考えられないくらい不便で、つらいものだと思います。
ハンナの秘密を知った時、彼女を本当に責めることができるのかわからなくなります。
そして、収容所跡の映像を見た時に、あまりのことに言葉を失ってしまうのです。
あまりにも組織的に人を「処分」できるようになっているシステムに。
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24日に一度書いた記事の書き直しです。
■公式サイト『愛を読むひと」
「私、彼に恋してる!」
ヒロインのモノローグのあとに噴水が噴き出してライトまであたる。
これは祝福の表現。
よかったね。
私が監督ならマンホールの穴に落とす(不幸になってしまうな)。
1995年の映画なのに、お洋服が今みても可愛い。
流行がひとまわりしてまた「いい」と思えるようになるのは20年以上のサイクルが必要で、たいてい10年前のファッションなんていうのは死にたくなるほどダサいものなのに。
デザインは保守的なのに、赤や緑の華やかな色をプラスするだけでどれだけ違うことか。
これは衣裳デザインのモナ・メイの功績。すばらしい。
親友ディオンヌの髪飾りのセンスもまねしたくなる。
悩みながら歩いててブティックの前を通ると「これ私のサイズあるかしら?」で出てくるとショッピングバッグもってるところとか「キューティ・ブロンド」とか「お買いもの中毒な私!」とかの映画を連想したけど、あれよりずっと前の映画で、原点を見てるようだった。
強盗に銃をつきつけられて腹這いになれと言われて
「嫌よ! これアライアなのよ!」
と服が汚れるのを嫌がって泣きそうになるアリシア・シルヴァーストーンは何をしても可愛いという、旬の女優にしか許されない魅力を発している。
(その後体型激変でチャームが消滅してしまい、ダサ子役のブリタニー・マーフィと立場が入れ替わってしまった)
ストーリーの原型はジェーン・オースティンの『エマ』。
古典を下敷きにするのは『ブリジット・ジョーンズの日記』よりも早い。
ジェーン・オースティンだから、ヒロインはちゃんと正しい相手を見つけます。
「ツインピークスみたいに複雑」とかその時代ならではの台詞も楽しい。
ただひとつ気になったのはお買いもの大好き、おせっかいの縁結び大好きなヒロインが
「わたしってショッピングしかできない馬鹿?」と反省モードになっちゃうこと。
ちょっと自分勝手なところはあるけど、別に反省するほどのことはないのに。
そのままでもいいじゃない、と言いたくなってしまう。
ええ、昼間にやってるような、大昔のB級西部劇なんてものにはよく「金の心を持つ優しい娼婦」ってえのが出てきます。
有名なやつでは『駅馬車』もそうじゃなかったかな。B級じゃないけど。
昔の西部には女が少ないもんで、女の役割が一本化されてますな。
脚本が売れるまでのクエンティン・タランティーノはレンタルビデオ屋の店員で、こういうB級アクションやカンフー映画をたくさん見てたんでしょうな。
この映画の主人公クラレンスはコミックブック店の店員で、プレスリーマニア。
女としゃべってても
「もし男とやらなくちゃいけないはめになったらエルヴィスとやりたい」
と言っていきなりドン引きさせてます。
んで、そのうえで
「映画行かないか?サニー千葉三本立て」
・・・行かねえよ! 普通、女は!
そんな場末の映画館で、しかもカンフー映画なんて!
とても堅気には見えないおねーさんにも断られてます。そりゃそうだ。
モテないだろうなあ。このひと。
・・・といっても演じてるのは当時大人気のクリスチャン・スレーターなのでちゃんと女子受けするタイプなんですが。
断られても毎年誕生日に映画館に行く決まりなのでそのまま千葉ちゃんを見てると
かわいい女の子アラバマちゃんが話しかけてくるではありませんか!
彼女はヲタ丸出しのクラレンスの話を(嫌がらずに)楽しそうに聞き、そのまま一夜を共に・・・
クラレンス史上最大の一夜!
トニー・スコット監督独特の青っぽいラブシーンが終わって彼女が言うには
「あたし実はコールガールで、あんたが勤めてる店の店長さんがうちに依頼して、それで来たの。あんたの誕生日プレゼントだって」
あまりのことに呆然とするクラレンス。
↓以下日本語吹き替えの台詞(テレビ版)
「あたしはまだコールガールになって三日目。あんたが3人目の客。だからまだ使い古しじゃない。あたしはすれっからしの売春婦じゃないわ。あたしはまともな女よ。そして好きな男ができたら100%尽くす。あたしは一人の男に尽くす女よ。
クラレンス、こんなこと言うと馬鹿みたいだけど。
知り合ってたった一晩だけで、しかもコールガールのくせして。
・・・あたしあんたが好きよ。」
そして翌朝ふたりは結婚。晴れて夫婦に。
え?話早すぎる?まあ聞いてよ。
ヒモなんか「ぶっ殺せ!」というプレスリーの守護霊(?)に導かれ半分
成り行き半分でクラレンスはアラバマのヒモをぶっ殺すわけです。
それで家に帰ってきたクラレンスを見てアラバマが
「あいつを殺すなんて・・・人を殺すなんて・・・すごくロマンティック・・・!」
「ロマンティック」というのはこういうときに使うんですね。人生日々勉強。
んで、アラバマの服をもってきたつもりがトランクいっぱいのコカインが入っててふたりで逃げるというお話です。
この映画は脇役が豪華で、プレスリーにヴァル・キルマー(顔見えない)父親役にデニス・ホッパー(実直な鉄道員役はギャグにしか見えない)、笑いながら人殺すクリストファー・ウォーケン、ヒモにゲイリー・オールドマン(『レオン』と同じ路線)、ヘロヘロのジャンキーに売り出したばかりのブラッド・ピット。他にもクリス・ペン(太りはじめ)、トム・サイズモアなんてのもいます。今回見ててサミュエル・L・ジャクソンがすぐ殺される役で一瞬出てたのには感動した。
アラバマをメタメタにしばくのは後に『ザ・ソプラノズ 哀愁のマフィア』でソプラノ一家の親分になるジェームズ・ギャンドルフィーニ。
タランティーノは脚本だけで演出してないのでテンポがよくて、女の子がけなげで強い!
パトリシア・アークエットは今ではどっしりした霊能ママのドラマをやってるけど、このころは陸に上がった人魚姫のようにかわいい。
演技も計算とか技術というよりも、本当に役柄をつかんでる感じ。
普通だとありえないような設定のヒロインに命を吹き込んでます。
私はハンス・ジマーの音楽が好きだった。
なんとなくメルヘンで、アラバマの可愛らしさそのものだから。
最後にアラバマは何度も”You’re so cool!”と言うんだけど、これはなんて訳すんだろう。
普通に「すごくかっこいい」?
「なんてかっこいいの」とかでもいいかな。
この映画は意外と私の周りの女子にも評判よくて、「この映画好き」という人は多いです。
でも脚本家のタランティーノは本来の結末と違ったものになったのでご立腹だったそうです。
アメリカン・ニューシネマみたいな結末だったら、女子はこの映画見てないよ。クエンティン!
フェロモンが香るよう、というのはこういうカップルのことを言うんじゃないだろうか。
1991年の『あなたに恋のリフレイン』のキム・ベイシンガーとアレック・ボールドウィンのことなんですけど。
同じ女と4回も結婚した男の物語。一応モデルがいます。
脚本はあの有名な劇作家ニール・サイモン。
彼にとっては実写ははじめての監督とわがままな大スター二人との仕事はあまりいい思い出はなさそうだったけど、終盤でかなりいい台詞を書いています。
コール・ポーターの名曲を歌うキムの歌声もいいです。
声量はいまいちっぽいけど声だけならミシェル・ファイファーより好きかも。
「なぜ同じ女と4回も結婚したいんだ?」という答えは
“It fits.”
お好きに訳してくださいまし。
あと、復縁の受け方がとっても粋。
ラストのナレーションもいいので、そこだけ繰り返して見る価値ありです。
そこにたどりつくまでのテンポはいまいちなんだけど。
決して名作でも傑作でもないし出来がいいわけでもないけど、妙に愛らしい映画でした。
キム・ベイシンガーとアレック・ボールドウィンはこの映画で恋に落ち、結婚。
この映画のころはふたりとも一番いい女、いい男っぷりです。
こんなにお似合いのカップルはなかったんだけど、泥沼離婚しちゃって惜しい限り。
また復縁すればいいのに(無責任)。
2004年
監督 ニック・カサヴェテス
原作 ニコラス・スパークス 『きみに読む物語』
「鳥は行ってしまうの?」
「いや、もといたところへ帰るんだ」
名を残すこともなく死んでいくであろう平凡な男。
ただひとつ誇れるのは一人の女を生涯愛し続けたこと。
美しい鳥のような少女が帰ってくるのをじっと待つ男の物語。
まさか自分が泣くとは思わなかった。
どっちかというと、そんなに期待してなかったのに。
レイチェル・マクアダムスは『ミーン・ガールズ』の女王役が嘘のような少女役。
やっぱりこの人うまいんだ。
ライアン・ゴズリングは『完全犯罪クラブ』の。。。。あいつか!
こっちも嘘のような好青年。
貧しい青年との交際を反対する彼女の親が娘をしかるのを外でじっと聴いてる表情がせつない。
そしてふたりは別れさせられ連絡もとれないまま年月が経過する。
そして女の子は恋をしてしまう。
ハンサムでやさしい、別の男に。
なんてことはないセリフでもツボに入ってときどき涙ぐんでしまった。
「あなたたちを見てて思い出した。本当の恋がどんなだったか。また誰かを愛せそう」
いやほんと。
年をとってもこんなに愛せたら、愛されたらどんなに幸せだろう。
年月で色あせる恋ではなく、ずっと続く愛を描いた作品。
▼ぐっときたところ
画材。
▼気がついたこと
ジェームズ・マースデンがまた寝とられ男だったああああ!
君はそのままだと寝とられか、あて馬の役しかこない!
歌え!歌うんだジェームズ!
▼こぼれ話
主役のレイチェル・マクアダムスとライアン・ゴズリングはこの作品がきっかけで本当に交際していた。
その後別れたときにライアンは町で見知らぬ女性に
「なんであんないい子を手放したの!」と怒られたそうだ。
その後復縁したがまた別れてしまった。
▼2005年のMTVムービー・アワードでベスト・キス賞受賞のときの模様。
ちゃんとファンの期待にこたえて再現。受賞者はこうあるべき。
15歳ながら愛する先生がつれてきた男をいびりたおすところとかはもう立派な男(しかも嫌な感じの)。
マックス劇団をはじめとする部活が楽しいのと、マックスよりも40歳は年上のビル・マーレイとの恋のさやあてをするあまり、いやがらせをしあうところが楽しい。
オフビートな感じのコメディ。
くたくたな犬みたいなビル・マーレイは本当にいい俳優だと思う。
最後にマックスはメガネをはずして、つぶらな瞳を見せます。
これはジェイソン・シュワルツマンの実のお母さんタリア・シャイアが『ロッキー』で演じたシーンの再現。
ロッキーがエイドリアンのメガネをはずすあのシーンを思い出してにやっとさせてくれます。
脚本はウェス・アンダーソンとオーウェン・ウィルソンの共同脚本。
オーウェンってあの役者のオーウェンだった。
それでいびられる男役はルーク・ウィルソンなんだ。納得。
私立高校は学園映画というよりもプレップスクールものっていうサブジャンルなんだって。
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私立高校に通う15歳のマックスは19もの部活をかけもちしてるせいで落第ばかりしている。
そんな彼の愛する人は小学校の先生。
こどもがいて、マックスよりも背が高いけど気にしない。
あるとき学園の理事長も彼女を愛してることを知って・・・というお話。
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1999年度のMTVムービーアワードでこの年のノミネート作品を演じるマックス劇団。
1stは全9話。
「グレイズ・アナトミー」のアディソンのスピンオフ。
仕事はちゃんとしてても、私生活はあれなお医者さんたちのお話。声優さんたちも安心して聴けるし、おもしろかった。
デル。ああ。
ものすごーくじっくり見ちゃった。
こんなに見たのは高校生のときにビデオの「セント・エルモス・ファイアー」でアンドリュー・マッカーシーがアリー・シーディに告白するシーンを繰り返し見て以来だ。
もうどうしよう(そんなこと言っても)。
あのときと同じような展開で萌えてどうするんだろう。
場面的にはデルがサムに宣戦布告するシーンが大ヒットだったんだけど。
高校のときと成長してないのかな(悩)。
DVDタイトルは『プライベート・プラクティス:LA診療所 』
LA診療所・・・。
「いい?クソ野郎には二種類いてね、ひとつは意地悪をするくそ野郎と、もうひとつはそれを黙ってみてるやつよ!」(記憶で書いてます)
学生時代の女の子グループというのはやっかいである。
仲がよさそうでいて、実際は小馬鹿にしていたり、陰口の発信元だったりする。
意地悪女レジーナ(レイチェル・マクアダムズ)は嫌な女だけど、みんな彼女に憧れてそばにいたがる。
それは元彼に
「あの子は意地悪なところもあるけど、それだけじゃないんだよ」
と言わせることでもわかる。
いっぽうのケイディ(リンジー・ローハン)は「レジーナは嫌な女!」といいつつ仲間面して復讐の機会を狙う女である。
普通なら意地悪女に仕返しした時点で終わるんだけど、これは仕返しするためにいろいろ謀ったヒロイン側も
「結局あんたも嫌な女じゃん」というところまで描いている。
そう、「やられた」と目を見開いたあの意地悪レジーナはかつてのケイディなのである。
「変な服」「でぶ」
そんなことを言って他人を見下しても、数学の答えがわかるわけじゃない。
他人を貶めるのは自分の居場所を確保したいから。
そうなんだけど、じっさい人の悪口って楽しいんだよね。
笑わせながらここまで踏み込んで描く作品はめったにない。
原作は「
女の子って、どうして傷つけあうの?―娘を守るために親ができること 」という、親のための対策本。
それをコメディに脚色したのは(ペイリンの物まねで有名な)ティナ・フェイの功績。
傑作だと思う。
○TOHOシネマズの、トワイライト特集のものをいただきました。
とてもうれしい。